「自分」を一番信じてあげれる「自分」でいたい
おはようございます
最近はまた仕事が少し立て込んできてしまって
生活のリズムが崩れないよう気を付けているYayoです
(三十路肌。睡眠不足を隠せなくなってきましたからね~笑)
実は昨日のお仕事の中でこんな出来事がありました。
私が急きょ、ヘルプで入る事になったプロジェクト内でのやりとり。
B部長(別の部署)がお客様へ提案へ向かう際に
説明で使うシートを、部下のA君に頼んでいたそうですが、
女性が得意とする分野の商品の為、A君もまとめるのに苦戦していた様子。
私が得意な分野のお仕事でしたので、正直自身の予定も
詰まり詰まっていましたがフォローを引き受けました。
急ぎプランニングを行い一旦提出して、少し安心していると…
B部長からという事で、そのマーケティング資料の大幅な修正が!!
その修正内容というのがほとんどせっかく調べて入れた
大事なマーケットやトレンドの情報を削るという物…
どう考えても、その内容を削ってしまうと
考えの無い、お客様にも伝わり難い薄っぺらい提案書になってしまう。。。
(そもそも私、いらないじゃない??ってなってしまう内容、、)
どうしても納得できなかったので、
その修正を持ってきた部下、A君に聞きました。
「A君、この件でお客様と実際お会いして、
よく打ち合せしていたのはA君だよね?」
「はい。」
「この修正で、お客様に伝わると思う??」
「B部長が、あ~だ、こ~だ言ってましたよ。」
「だから、B部長はいいけど、あなたはどう思う?」
「こ~で、あ~で。。。(←口調といい、完全コピ~)」
「わっ、わかった
じゃ~その後のストーリーがつながっていないとおかしいと思うんだけど。
この内容じゃアベコベじゃない?見た人、混乱しないかな?」
「なので、、、部長はこう言ってました。。。。」
「ちぃ~ん」
しゅ~りょ~
自身の意見を言う事について、
年齢、役職、上下、男女…、一切関係ない
と私は思っています
何事も、人の思いや意見に影響される(つられる)前に
まずは自分の手のひらにしっかりとのせて、向き合って
頭で考えてみる
そこから感じとった物を自分の意見として声にする。
意外と簡単そうで、なかなか出来ない事です。
言葉に発するという事は、そこに責任が生じるという事
また、その裏付けとなる「知識」や「磨かれた感性」を持ちあわせていないと
なかなか上手く考えや意見を相手に向かって発する事ができません。
その事の大切さに気付くと、
人はますます磨かれていきます
私もこの年になってようやく、
年上の方でも気兼ねなく。
自分の感覚を信じ、これだと思う事を
自信をもって意見交換をさせて頂いたり、
発言できるようになってきました
たとえそれが、方向が少し違っているかもしれない。
自信がない。と思うような事でも
言わなきゃその事さえも気付かず…
どんどん「自分」にとって寂しい「自分」になってしまいますから
その事の大切さに改めて感じさせられた昨日の
仕事場での一コマでした
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